Sen Guesthouse10周年

2022年3月4日、Sen Guesthoueは10周年を迎えました。

とはいえ、2018年に松山から小豆島に引っ越してから営業を再開するまで約2か月のブランクがあるので正確には丸10年経ってるわけではなく、小豆島歴がまだ短くてなんとなくピント来ないので、二人ともギリギリまですっかり忘れておりました。

それでも松山で初めての個人事業開業届を出した日から、歴としてあっという間に10年経ったようです。なので当日は、マットの誕生日とその他色々重なったので、限られた友人たちだけでBBQパーティーでお祝い。

並んだのはお手製のドリンクに猪肉のハンバーグ、友人宅で大切に育てられている鶏の卵、友人お手製の絶品カレー、美しい彩りのサラダ、スイーツのプロの友人に作ってもらったパンやケーキなどなど。火を囲んでそれらを眺めていた友人がポツっと一言。「豊かだなー--」。

今の生活は、本当にその一言に尽きます。

ピントずれてしまったけど、卵が取れた日を子供が自分で卵に書いてる。かわいすぎ。大切に頂きました。

お祝いはサクッとしてしまったので、代わりに久々に昔の写真など引っ張り出してきて長々と綴ってみたいと思います。

松山で初めて看板がついた日!

「泉」と書いて「セン」ゲストハウスをオープン。名前の由来をよく聞かれるのでこれを機に書いておきます。

元々この日本人×アメリカ人で宿を始めるのなら、和でも洋でもない中間っぽい名前がいいな~。と思って色々考え始めました。ある日マットが、「四国は水に囲まれてるし、道後は温泉があるし、なにか水にちなんだ名前がいいんじゃないか」と言い出。そうねー、と、水や泉という言葉を他の言語で調べてみてもなんかピンとこない。それである日、なんとなく「泉」を「イズミ」じゃなく「セン」と読んでみたら、あれ?なんかこの響き、良くない?それで漢字の意味も調べてみたら、「人が集まる」「いつも新しいことが湧き出ている」とあって、ますますゲストハウスにピッタリじゃない??ということで、決定しました。 

ところがとっても気に入っていた名前だけど、松山でいたときにあまりにも「イズミゲストハウス」と言われたので、いちいち訂正するのも面倒になってきて小豆島では漢字を使うのをやめてSen Guesthouseとして再出発しました。でも「泉」の漢字と意味は気に入っているので、ロゴの中に残してます。

結婚して一年経たないうちに夫婦二人で始めた宿は、愛娘ができて家族三人で営む宿となり、小豆島に来てから宿の規模は松山の時の約半分に減りましたが、その分念願の自分たちの土地と家、そして絶景を手に入れることができました。

松山にいたときは、開業時のオープニングパーティーを皮切りにしょっちゅうライブやイベントをしてました。自分たちも客室の一室に住んでいたから大きなシェアハウスのようで、ゲストと一緒にご飯作ったり食べたり花見したり、夕陽の時間には屋上でゲストたちと飲んだり。

今は家族だけでやっていますがだいたいいつもヘルパースタッフがいました。でもみんな元々ゲストだったり友人の紹介だったりすることが多かったので、イタリア人のフェデリカから始まり小豆島にも一緒に来てくれて最後はほぼ娘のベビーシッターとして助けてくれたニュージーランド人のテレサまで、みんな家族のように仲の良い時間を過ごさせてもらいました。

初代ヘルパーのフェデリカと、一周年記念(&マットの誕生日)を道後の町屋さん特製ジャンボバーガーで。マット・・・ 若っ!笑

しょっちゅう行ってた道後公園で、スタッフたちやゲストと最後のお花見

そしてお遍路。マットと私が四国遍路がきっかけで仲良くなって結婚したこともあって、松山では主に外国人対象に四国遍路の情報提供をするゲストハウスとしてセルフガイドツアーを作ったりして活動しているうちに、外国人お遍路さんの中ではすっかりお馴染みの宿として定着していたようです。そのおかげで小豆島遍路地図を作ってくれた松下さんともご縁をいただくことができました。

「四国遍路を広めよう」をテーマに、スペインの巡礼道、カミノデサンチアゴにも2回(カミノ・フランセスとポルトガルの道)、歩きに行きました。子供がもう少し大きくなったらまた一緒に行きたいな。

カミノ・フランセスを黙々と歩く。

宿をしていると世界各地から色んな人達が来てくれるのがいい所ですが、自分も旅しないと感覚を忘れてしまうので冬の閑散期にはいつも1,2か月休業して旅へ。数日暇な時があれば四国内を旅しまくりました。

ゲストハウスオーナーたちとの繋がりも強かったです。まだまだゲストハウスの数が少なかった時だから、ゲストもオーナーの紹介で次の宿を決めて旅したり、中四国中心でゲストハウスオーナーたちが集まって飲んだり、ゲストハウスつながりMAPを作ったのもよき思い出。

しかし何を思い出しても、よく働き、よく旅してよく遊んだ日々でした。

松山での最後のイベント、”GOAT”こと Ianのフォトギャラリー+ EKDライブ!!

小豆島に来てからは、車がないとスーパーにもどこにも行けなくなりましたが、その代わり家にいながら自然と四季の移ろいを感じることができるので、松山でしょっちゅうしてたピクニックにあまり行かなくなりました。

そして冒頭でのとおり、とても豊かな生活をさせてもらってるなぁと感じます。松山にいたときはほぼ何でも買わないと手に入らなかったのに、ここでは誰かが何か持っていて、物々交換できたり、不要になったものが必要とする人に目に届く距離で周るシステムがあったり。新しく買う前に「誰か持ってないかな?」「作れないかな?」という思考になり、その逆に捨てる前に誰か必要としてる人はいないかな?と聞くことも然り。そうしているとどんどん自分たちでも造り出すスキルとアイデアが湧いてきます。

まだまだ素人で失敗続きですが、小豆島に来てから野菜やしいたけ作り、コンポスト、養蜂などを始めました。冬は味噌作り、海にヒジキやワカメを採りに行き、その後は梅干し作り、秋にはオリーブ、、。四季とともに生きているのがとても心地よく感じます。

玄関まで長い階段を毎日上り下りするのは大変ですが、家に落ち着いてしまえばその苦労を忘れるの繰り返し。まるで毎日が軽い登山気分。子供が小さく私たちもまぁまぁなお年になってきたので夜はあまり絡まず早寝早起き傾向ですが、毎日のサンセットタイムは変わっていません。私たちと絡みたい気分なゲストさんはぜひ夕陽の時間を狙ってきてください。

とある日のサンセットタイム。

松山時代のゲストや友人たちも、よく小豆島に遊びにきてくれます。これは本当に嬉しくてありがたい。

そしてここに来てくれるゲストたちも、ここにはリラックスしに来てくれる人が多いようです。バルコニーに座って魂が抜けたようにぼんやりと海を眺めているゲストの後ろ姿を見ていると、私たちがここでできることって、宿のクオリティを良い状態に保つこと以上にただひたすらこの美しい自然環境を守ることなのでは、と思います。

2年目に瀬戸内芸術祭があり、3年目にコロナの出没でゲストハウス人生始まってから初の、休暇じゃない休業体験。せっかく念願の小豆島遍路地図ができあがったのに、外から人が来ない。。。観光業は常に世間に左右されますが、収入の糧が一つしかないとこういう窮地に陥ることがあるんだと痛感。

しかしその後、そのコロナがきっかけとなり、まめまめびーるさんとのご縁と助成金のおかげでビアハウスを始めることになるとは松山時代には想像もしていなかったことです。そのおかでで島内に住む方たちとの新しいつながりも広がりつつあります。

ビアハウス オープニングパーティー


こうして書いてみると、ハード面では色々変わったし年を重ねた分?ますますユルくなってきたものの、流れとタイミングに乗りつつ本質の部分は変わらずに来れたのかなと思います。

それにしても本っ当に数えきれないくらいたくさんの方のお世話になり、たっくさんのゲストの皆様に来ていただきました。本当におかげ様。感謝の気持ちでいっぱいです。

写真を見ていると思い出すことがたくさんありすぎて、ここでスライドショーでもできたらいいのにと思うくらいですが、あまりにも膨大な数なので断念しておきます。


ゲストハウスや宿事情は常に変わっていきますが、ただひたすら自分たちが住みたい場所、心地いいなと思える場所をつくっていくことを軸に。

常に旅人の気持ちを忘れず、旅人が安心して気持ちよく休める場所であること。そして、何度でも帰ってきてもらえる場所であること。

それらを胸にこれからも家族仲良くやっていきますので、今後もセンゲストハウスをどうぞよろしくお願いいたします◎