お遍路シーズン到来<その④:足かけ6年区切り打ち>

あぁ ゴールデンウィークやらゲストハウス集会やらLiveEarth Matsuyamaやら、楽しく慌しく毎日過ごしてるうちにあっという間に5月も中旬になってしまった。。

ということで時間がなくなってしまったので(超適当・・)、この前から続けて書いた”お遍路シーズン到来”シリーズ、もっともっと書きたい人はいるんですが、惜しくも今回がひとまず最終回でございます。しかも最後は、私自身。なんや結局〆は自分かいな、と思った方、まぁまぁそう言わずによっぽど時間が余ってしょーがないときにでも読んでやってください。

とはいえ、何を言ってるのか掴めない方のために簡単に。そもそも私たちが今四国の松山でゲストハウスをやっているのも全てはお遍路がきっかけです。マットは4年前に通しで歩き、私は6年前からお遍路の相方と一緒に毎回4,5日間ずつ区切りながら歩いてます。そんな私のお遍路もいよいよ今月末で最終章を迎えます。その最後の歩きに出かける前に、随分時間が経ってしまいましたが去年歩いたときのことをここで回想してから出発しようと思います。

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 2012年6月

ゲストハウスをOPENしてから初めの1年は休みなしで働く覚悟!!
と言っていたにもかかわらず、梅雨を理由にオープンして3ヶ月後の6月上旬、ちょっとだけお休みして、私は1年ぶりにお遍路歩き、マットは熊野古道を歩きに行ってきました。

前回はちょうど約一年前、最終日に泊まったお宿の女将さんに猛烈におススメしてもらったおかげで、急遽予定変更して超強行で登った石鎚山。
お遍路歩きをしている割に、基本的に各寺社では「感謝」するだけで「お願い事」はしないんだけど、そのときはまだゲストハウスの物件が見つかってなく、石鎚山の麓にいたときからすごく山のパワーを感じ、自然に「いい物件とご縁がありますように」と心に願ってしまったおかげか。
その2ヵ月後に今の物件に巡り合い、その後トントン拍子に事が進んで今がある。これはぜひとも御礼参りに行かなくては。

でも今回は石鎚山まで登る時間は取れなかったので、まずはそのおススメしてくれた女将さんと、ちょうど道中にある石鎚神社にお礼参りしてから、さていざ出発。

思えば一番初めに歩き始めたのはかれこれももう5年前。区切り打ち(歩き)だから、毎回季節も違うし自分や相方の環境も変わってる。歩くたびに、気づくこと、気づかされることが毎回毎回、ある。
そんな今回は、いつも以上にいろんな人に話しかけてもらうことが多かったような?そして個人的に不思議な感覚だった1つは、今まではいつも将来どんなゲストハウスができるか、とかを考えてたのに、今回はそのゲストハウスをお休みしてきてるとは。しかも一泊目に泊まった民宿で、SENに数日前に泊まってくれたお客様と遭遇!!Mさん、驚かせてすみません(笑)

そしてもうひとつは、なんといっても我が地元香川県にいよいよ入ったこと。「いつになったら香川にたどり着けるかな~」って言っていい続けてたのに、ついに!!
地元を出て10年以上、なんども里帰りはしてるものの、待ち望んでいたよこの時を。お遍路姿で帰省(笑)
さておき、実家といえど家族総出で恐れ多いほどのお接待をしていただきました。大感謝です。

 実家でお遍路ルートの確認中

実家でお遍路ルートの確認中

何度も通って見慣れた風景を懐かしく眺めて歩きつつも、そのときには全く気づかなかったお遍路道のサインを辿りながら歩いている。「このビュンビュン通ってる車の中に、絶対何人か知ってる人がいるんやろうな~」ていうくらい近いのに、18年居ても知らなかった香川の道や素晴らしい景色に気づく。
「あんなしんどい坂道、二度と行きたないわ」といって本当に二度と行かなかった、一度だけ中学校の遠足で行った「祖谷寺」。今回登ってみると、鬱蒼とした木々の中に浮かびあがるように佇む古いお店や、岩壁に刻まれた仏像「摩崖仏」とか、奥の院が大師堂内にあるとか。
見事に全くひとっつもお寺のことを覚えてなかった。中学生の時ってそんなもんか。。しかも「しんどい坂道」が、たいしてしんどくなかったし(笑)

中でも今回一番感動したのは、73番の出釈迦寺(しゅっしゃかじ)、奥の院の捨身ヶ嶽禅定。前日に本で予習してるとき、なんとなく目に入った「捨身ヶ嶽(シャシンガダケ)」っていう怖そうな名前が気になり。「捨身ヶ嶽禅定」の由来を読んでみると、

”弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で虚空蔵菩薩像を刻んで安置し、堂宇を建てたといいます”

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なんと。これは大事な。
それでも「行けそうだったら行こうか~」と出釈迦寺に着くと、山の中腹当たりにいかにも景色の良さそうなお寺が見える。
そこでお猿で単純な私たち、「せっかくだし、行こうか!」と決定。納経所あたりに「送迎5000円」とかいうサインがあって、えらい高いなぁ と思いながら歩き始めて約5分、その理由を身を持って知ることに。

迂回の道を作る広さがなかったのか、見事にほぼ真っ縦に上へ続く道。距離でいうとたいしたことないんだろうけど、あまりの急勾配に歩けど歩けど進まない。
こりゃ車でも大変やで。はーはー言いながらなんとか下から見えていたお寺に着くと、唯一そこにいたお二人は地元の方らしく、
「ここまで来たら、修行場までのぼらないかんで!そこが始まりなんやから」と。

はて。ここが終点だと思っていたのですが。
そしたらおっちゃんが、「登り口まで案内してあげるわ」と。素直についていくと。。
なんと。石鎚山プレイバック。鎖つきの見事な岩場じゃないですの。

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「若いし、2、3分あったら登れるって!」「いやそれはなんでも。。10分くらいかな」とお二人の談義におされ、では登りましょう。
岩場自体はまだ登りやすかったものの、なんせ弘法大師が身を投じたという断崖絶壁。いやー、絶景かな絶景かな。
讃岐平野が正面と背後に見えるみえる。こんな素晴らしいところ、なんで今まで知らんかったんやろう。後で話すると、我が父は来たことがあったらしい。
ゆーてや父。
恐る恐る登りきった先に祭られていた虚空蔵菩薩像様にお参りし、無事に下りてこれた直後に急に霧がかかり始め、あっという間にさっきまでいた場所は霧の中へ。危なかったー、あともうちょっとあそこにいたら本気で怖かった。

安心して下りてくると、もうとっくに麓へ下りたと思っていた先ほどのお二人の姿が。まさか心配して待っていてくれたんですか??
答えはなかったけど、「よかったよかった」と安心して、さっき一度上っていたはずのお寺へ姿を消したお二人。
。。なんでわざわざ? まさかあの二人は弘法大師と天女だったんじゃあ。。 と、勝手な想像をして、雲辺寺の後の脚には上りよりさらにキツイ下り坂をへっぴり腰でソロソロと下りていったのでした。

その後、金倉寺まで歩いて今回は終了。翌日バスに乗る前に父の助けを得て番外の海岸寺で産湯を使ったという井戸も拝見し、(これも前日のおじさんに教えてもらった)日本でもここにしかないのでは?という、お寺の門に、仁王様の代わりに立っているお相撲さんも拝見し。ちなみにこれも、何百回とこの前通ってたのに初めて知った。そして父は知っていた。というか父が教えてくれた。もっと早よゆーてや父アゲイン。

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そんなこんなで今回のお遍路も、いつもとは違った意味で色々とおもしろく発見の多い旅となりました。
残すところあとわずか。終わりに近づくと淋しいような。。といって何度も歩かれているお遍路さんの気持ちに近づいてきました。

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あー、ほんとに今回いよいよ88番まで歩いて、1番に戻るのがすごい楽しみ。そして感慨深い。きっと相方といろいろ思い出しながら歩くことでしょう。その日記はまた後日。いってきます!